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第8回セミヂカインタビュー 民主党・津村啓介議員

2014/04/24 | Interview

tsumura-kakiuchi

初めまして。垣内麻里亜と申します。よろしくお願いします。
プロフィール拝見させていただいたんですけど、わたしも猪年なんです。

とても年離れているんですね。ちょうど二回り差ですね。よろしくお願いします。

私は今早稲田大学の政治経済学部政治学科で政治について勉強しているんですけど、政治って難しいなあと思うんです。でも先生は、著書の中で、小学校高学年の時から政治に興味を持っていたと書かれていたのですが、政治のどんなところに興味を持っていたのですか?

そうですね、政治に興味を持ってたというか、テレビに出てくる政治家を芸能人のような感じで見ていましたね。芸能界に興味を持つのと似たような感じで、難しいことは分かってなかったけど、「今度は誰が総理大臣になるの?」とか「お父さんはどっちの人の方が好きなの?」などと聞いていましたね。将来それが歴史になるわけじゃないですか。だから歴史と自分のつながりを考えたときに、政治家という存在は分かりやすい存在でした。

その後、中学生・高校生では科学者を夢見ていたそうですが、それはなんで科学者だったのでしょうか?


tsumura1僕は学生時代に親戚の影響を強く受けていました。ひとつは僕の父親が生命保険会社に勤めていたんですけど、自分の仕事に納得いかない部分があったみたいで、民間企業の自分の会社だけ儲かればいいという考えが納得いかないと常日頃聞かされていました。中でも理系だと日本だけじゃなくて世界や人類に貢献できる大きな仕事じゃないですか。それが理由の一つです。もう一つは、うちのおじさんが物理学者だったんですけど、親戚の中ですごい人気があったんで、おじさんみたいになりたいなあっていうのがありました。

世界的に名を残すような大きい仕事がしたかったのですか?

そんな有名になりたいって思ってたわけじゃないんですけど、おじさんが物理学者ですごくいいおじさんだったんで、そんな人になりたいなあって。

でも、大学では理系じゃなくて文系ですよね。

当時は理科2科目だったんですけど、そのうち1科目すごく点数が悪かったからというすごく現実的な理由で文系にしました。大学に受からないっていうのもそうだし、苦手なもので一生やっていくのも嫌だなって思って。

大学生のときは政治家志望ではなく官僚志望だったと伺ったのですが、そうだったのでしょうか。

今は大学時代から政治家を目指すっていうのができると思うんですけど、昔は政治家になるっていうのがものすごくマイナーな選択肢だったんですよ。政治家と個人的なコネクションがないとなれないって言われていたので、政治家の秘書になるか、あるいは政治家の娘と結婚するか、あとは官僚になって政治家の秘書官とかやって、お前いいじゃないか、とかなるしかなかったのです。

政治家を見据えた官僚志望だったんですね。では学生時代にはどんなことをやっていましたか?

僕は結構熱心にサークルやっていました。
2つやってたんですけど、ひとつはラグビーのサークルです。中学・高校時代はずっと英語部で、運動部の人にコンプレックスがあったので、そのコンプレックスを解消するために思い切ってラグビーを始めました。

ラグビーってすごくハードなイメージがあるんですけど、なんでまたラグビーを選んだんですか。

どうせやるなら激しく、と思って(笑)。
もうひとつは児童養護施設の子供と遊ぶサークルで、週2回訪ねて、親と一緒に住んでいない子供たちに勉強を教えたり一緒に遊んだりするっていうのをやってました。それが一番楽しかったんで4年間続けました。そしたら上智大学のサークルなのに何故か東京大学の僕が会長になりました(笑)。

kakiuchiそうなんですね(笑)。子供と遊ぶことが楽しかったとおっしゃっていましたが、保育士などの道に進もうとは思わなかったのですか?

自分は子供いっぱい欲しいなって考えているんですけど、職業で選ぼうというよりは経験としての興味がありました。まずそのサークルに入ったきっかけっていうのが、自分は親とずっと一緒に暮らしてきたし、家庭的には恵まれたというか平均的な家庭に育ったので、自分は苦労を知らないなっていう。浪人もしなかったし、病気などもあんまりしなかったので、若いうちに苦労を経験するっていうのができていないんじゃないかなって思いました。だからそれが逆にコンプレックスだったんです。
だから大学時代は今まで見たことないものを見ようって思って入ったんです。

ではやっぱりずっと官僚志望だったのですか。

最初はいろいろ考えました。外交官も裁判官もなりたいと思ったし、しかし途中からは父の影響もあってパブリックな仕事をしたいと思ってました。

書では”教科書に載るような仕事がしたい”って書いていらっしゃいましたよね。

偉そうなことを言ったもんですよ(笑)。

いえいえ。それで、教科書に載るような仕事の、日本銀行に就職されたんですね。

日本銀行って教科書に役割とかも全部書いていて、学生時代はすごく憧れる存在でした。
それから僕はよく、「この時代にこの国に生まれてきたことの意味」について考えるんですけど、当時の時代の日本っていうのは経済的にもすごく豊かになって、僕が就職した時にはジャパンアズナンバーワン、とアメリカを追い越すんじゃないかとまで言われてた時代でした。そんな国に生まれていてその分野にいれば世界でも活躍できるし、役に立てると思って。日本の一番強い分野で仕事がしたかったんです。

そうなんですか。そんなに憧れていた日本銀行をやめて国会議員を目指すきっかけはなんだったのですか?

tsumura2きっかけはたくさんあります。一番大きなきっかけは、それまで日本が一番活躍する舞台は経済だと思ってたけれど、政治っていうのも動き始めたなと感じたことです。
僕は日本経済っていうものが、これから20年も30年も世界のエンジンになって右肩上がりで発展していくんだろう、と思って、その中心で働きたいと思って日銀に入ったんですけど、僕が入った次の年に信用組合とか銀行が破綻し始めて、僕の20代って日本経済がぐちゃぐちゃだったんですよ。
日銀っていうのは金利を上げたり下げたりして景気を良くしたりするんですけど、0まで下げてるのにまだ景気が良くならないから、もう日銀にいても打つ手なしという状態でした。
それと同時に、日本版金融ビッグバンっていって規制緩和があって国内での新しいルール作りが必要になったのね。それで、日本の政治にも小選挙区制度が導入されて、政治の世界にも規制緩和というか、政治改革があって、志を持って必死に努力をすれば、普通の家庭に育った人間でも政治家になれるようになったから。
あとは留学から帰ってきてすぐだから身動きがとりやすかったということかな。

では日銀を辞めて国会議員になると決めたとき、不安ではなかったですか?

正直に言うとね、その頃の日銀では、普通は30歳くらいまでは同じように出世していくんだけど、僕の場合は、留学の時期が昇進の時期に重なったっていう言い訳もあるんだけど、自分が思っていたタイミングで行きたい部署に行けなかったんだよね。そういうサラリーマンの人事に対する不満みたいなものがあったんです。今思えばそんな時期が1回や2回あっても全然いいじゃんって思うだけですけど。
でもそのときは「あ、これでもうあんまり偉くなれないな俺」って思ったから、じゃあ他で頑張ってみようかなっていうのもあった。せっかくならもっと広いフィールドに出て、イチかバチか頑張ってみようかな、みたいな。

それで国会議員に立候補したんですね。周りからの反対はありましたか?

家族はものすごく反対したね。そもそも当選できないでしょ、できればいいけど、っていう。民主党ってなに?みたいな。しかも岡山はそのとき民主党は一議席もとってなかったからね。

じゃあ、一生懸命説得されたんですか?

うーん。説得というか、強行突破。今考えると、もうやるぞって思い込んでました。「冷静じゃなかった」っていうと語弊があるけど、すごく強い意思で突っ走ってたかも。だからそんなに不安はなかったかな。

kakiuchi3すごい行動力や決断力ですよね。行動力・決断力というと、津村先生は大学生時代にヒッチハイクでアメリカ横断をされたんですよね!そのとき怖くはなかったですか?

日本で何回かやってたからなあ・・・。まあ確かに英語喋れないし、怖い人にお金取られたらどうしようって思ってた。だからお金持たないで、靴下の中とかに隠すようにした!それといかにもお金持ってなさそうな格好して。

今までのお話を聞いていると、なんとなく負けず嫌いで野心家っぽいイメージですが、、トップに立って総理大臣になりたいと考えたりしますか?

うーん、なれるもんならなってみたいけど。社長もそうだけど、目指してもなれないものを目指すのって、なんかあまり気持ちよくないと思っています。候補者になれるくらいの仕事はしたいし、後に残る仕事をやりたくて。例えて言うと、与謝野さんみたいな人になりたいんですよ。与謝野さん、病気になられたり落選されたりで総理大臣にはなれなかったけど、総理大臣になっても全然おかしくなかったし、「あの人は立派な政治家だ」ってみんな思ってるのね。
一方で、総理大臣になった人がみんな尊敬されてるかっていうとそうでもない。だから、なってもおかしくないぐらいだし、かつ、あとから振り返ってあの人は立派な人だったなって言われるようになりたいな。肩書きよりも、後に残るいい仕事がしたいです。

後に残る仕事ということについて、なにかやりたいことはありますか?

僕は日銀でも議員でもどんな仕事でも、何十年もかけてやるものだと思っています。だからなにか1つのことだけがやりたいわけじゃなくて、その時期に起こる様々な出来事や危機にきちんと対応して、その時期を代表する政治家のひとりになりたいと思います。僕が絶対やりたいのは消費税の引き上げを15%まですること。あと、年金の受給開始年齢を平均70歳くらいに引き上げようと思ってる。あとは尊厳死を認めていくことと、英語の公用語化だね。日本語はもちろん公用語だけど、英語を第二公用語にする。

やっぱり英語は大事ですよね。

うん。日本はハンディキャップを負いすぎだなあ。僕自身英語が喋れないからすごく思う。先週も大使館に呼ばれてすごくブルーだったから。学生時代に絶対、英語は絶対やったほうがいいよ(笑)。

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セミヂカ編集部

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