第4回目となる今回のセミヂカインタビューは自民党衆議院議員の白須賀貴樹議員と今野智博議員のお二人にインタビューをしました。普段から仲がいいお二人ですが、お互いにどんなところに惹かれるのでしょうか。
今回インタビューをしたのはお茶の水女子大学1年生の水谷真依子さんです。
それでは2人の議員の過去を比較して見ていきましょう。
人生を変えた学生時代
家は父親も歯医者だったんだけど、その屋上からエアガン撃ってるくらいに馬鹿息子でした。高校のときには、駅前で女の子に声をかけたりもしてましたね。

でも父が20歳の時に他界して、学費も自分で稼がなくてはいけなくなったし、父が借金を残して亡くなったから。それで人生が180度変わったと思います。そこで自分で会社起こして食い扶持を稼いで、働きながら学費も出して、母と2人3脚で、妹の学費も出しながら、なんとか歯医者になりました。
それがなかったら今頃は白須賀さん家のスーパーバカ息子になっていただろうと思います。
だから、やっぱり父の死によって真っ当な人間になれたかなって思います。
ターニングポイントというより父の最後の教えだと思っています。
会社を興した後にいろいろな仕事をやって、2級ホームヘルパーさんの育成講座もやりました。当時、就労している方の職業訓練に30万円の補助金が出る時代で、そうすると「ホームヘルパー2級の資格取りませんか」と広告を打つと、すぐいっぱいになっていたんですよ。僕がつくったスクールだけでも2,000人卒業したくらいですから。
なぜかと言うと、資金をつくりたかったんです。将来自分がやりたいビジネスのための資金が欲しかったから。しかもそのヘルパーの資格を教えるのが歯科大学の学生でも許されていたんですよ。

しかも、その講座の生徒さんは普通に働いている人だから土日だけの開講でいいんです。ですから、そういう形で作った資金で保育園を設立しました。
当時深谷市に住んでいて公立中学校に通っていたんですけど私立巣鴨高校に合格したんですよ。
通学に2時間くらいかかったので、行きも帰りも電車の中ではずーっと本を読んでました。その頃からすこしまじめになりましたね。それから早稲田大学に進学してテニスやスキーをしていたんですが、自分のエネルギーを傾ける先がよくわからなくなったんです。それがきっかけで、また読書するようになりました。主に司馬遼太郎、カミュ、カフカ、サルトルなど哲学的な本です。というのも僕は元々政治家になろうとしていたので、自分が政治家になる為には何が一番今後役に立つのか考えてでした。経済や経営学を勉強したり国の政策を考えたりしていたんですけど、自分が政治家になる頃にはそういった知識や考えも時代遅れだということに気づいたんですよね。それよりも哲学の勉強をしたり色々な本を読んだほうが為になるかなと思ったんです。
大学卒業後は、まだ被選挙権もないので卒業して大学院に行こうと思ったんですけど、卒業間際に僕も父親を亡くしたんです。政治家っていうのはなりたくても自分の努力ではどうしようもない職業の一つで、なれる保証もない。まして政治家に知り合いもいない。だから何か手に職をつけようと思ったんです。それで3年半勉強して司法試験に合格して弁護士になったんです。
国会議員になろうと思ったきっかけ
そもそもの話で言うと、学生時代の友人とかには僕は政治家になるからってずっと言ってたんだけど、それは単純にえろ、偉い人になりたくて。

偉い人になりたいっていうのは漠然とあったんですけど、やっぱり本当に実感したのは僕が保育園を設立した時ですね。363日稼働して、朝の7時から夜の10時まで預かって休みは12月31日と1月1日だけにしていたんですよ。休日も祝日も預かるし、一時預かりも、病後児も預かって、世の中のお母さんがこれをやってほしいっていうことを全部やっていたんです。最初はみんな朝預けて夕方の5時とかに「○○ちゃんごめんね~」って迎えに来るんですよ、でも人間ってコンビニと一緒で便利になるとちょっとずつその時間が延びていくんですよね。17時が18時、18時が19時ってね。僕の園では夜まで預かるお子さんにはお夕飯を出すんですけど、お夕飯まで食べさせていくお母さんが全体の1割以上を超えた時、あぁ失敗したなって思いましたね。
その時に、これは子どもたちの為の園じゃなくて、お母さんと子どもの間の「愛」をなくす園だなって思って反省したんです。
その時に他国の保育制度を調べたら、託児所に子どもを6~7時間とかそれ以上預けたら親が罰せられちゃうんです。なので会社が親を子どもの元に返すということが「社会的に子どもを育てる」という意味で、会社はその義務を負ってるんです。だから早く子どもの元に親を返そうというのを社会全体としてやってるんですよ。
それに対して日本の保育制度っていうのは、子どもから如何に長く親を引き離して子どもを預かってあげようかというのを「社会的に育てる」という常識にしてしまっているんです。この保育制度の常識が、子供に必要な愛情と恐ろしく乖離していることに気づいたんです。このギャップを埋めるには政治しかないと思ったんですよね。
ええ。それが入賞して、結構インパクトのある作文だったので僕の同級生やその親御さんたちが覚えてたんです。たまに会うとその作文を覚えてた人にまだ政治家になる夢持ち続けてるの?って聞かれるんですよね。それで僕も「はい」と答えていて諦める機会もないし、諦める必要もないなと思ってたんですよね。それからずっと考えていくうちにそもそも自分は何で政治家になりたいんだろうって考え始めたのがきっかけです。弁護士としていろいろ仕事をしていく中で、今の世の中にすごく生きづらさを感じたんですよね。その原因は、昔からの日本人が有しているような自分よりも他人を大切にする、いわゆる武士道精神みたいなものが廃れて言っている事だと思たんです。僕は今をこうやって楽しく生きている中で、やっぱり未来の世代にも責任を果たして生きていきたいと思ったんですよね。そうしないときっといい死に目にあえないというか、人生を終える瞬間に後悔するなと思ったんですよね。だから小さいころの夢でもありますし、まずは政治家になって教育や財政再建などから根本的にこの国を変えていくんだという思いを強く持って立候補しました。
まあ、一言でいえばもう一度豊かな社会、住みよい社会をわれわれの力で築いていきたい、ということです。
国会議員になるために努力したこと
駅頭や箱ものの公民館で自分の政策を伝えて受かるという世界ではないんです。そもそも人が集まらないですしね。その上顔も名前も知らない若造がどんなに立派なことを言おうと票が集まらないんですよね。
石破幹事長が言うように握手した数しか人が集まらないし、歩いた軒数しか票が出ない。自分の国家像、政策を個別具体的に伝えることも大事なことですが、それよりも夏祭りで有権者の方々と握手をするというような自分でイメージしていなかった選挙活動が多くて、最初は戸惑いも感じて苦労した所ではあります。でも今思えば人の心を知るという面で、独りよがりの政治をするのではなく有権者とのふれあいを持って、一般の市民の方々がどう感じ、考えているのかを絶えず生で聴けるのでそういった活動もすごく意味のあることだなと思っています。
選挙活動中も、消費税をあげるとか憲法改正や年金は下げなければならないとか、様々な厳しいことしか言いませんでした。それはなぜかと言うと、熱烈な白須賀支持者を作ろうと思ったんです。どんな風が吹いても「白須賀は嘘をつかない。彼が言うなら間違いない。」そう思ってくれる熱烈な自分の支持者を。そういう核になる人が5人に1人ぐらいいれば絶対勝てると思って。あとはね、担ぎ手が良かったんですよ。神輿は誰が来ても担ぎ手が良いから受かる、というくらい事務所のメンバーがすごく良かったんですよね。
それくらい事務所のメンバーがものすごく優秀。1人で10人分くらいの働きをしてくれて。
だから本人は好き勝手にやって終わりました。(笑)
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こうして比較してみると人間性が大きく出ますね。2人いたからこそ、その人間性がクローズアップされた気がします。
セミヂカではこれからもこうした政治家のパーソナリティーの部分を紹介していきます!!
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